私たちは、しあわせを求めて生きています。しあわせを他人と比べることによって感じようとしてはいないでしょうか。また、財産や権力を手に入れることで、しあわせになろうと望んではいませんか。財産や権力などはいつまでも保てるものではありません。どんなことがあっても決して無くならないもの、それは仏の教えに遇うこと、それが人間として生まれたものがめざす真実の教えです。
『阿弥陀経』に出てくる青い蓮は、このような睡蓮のことと思われる。睡蓮には黄色い花もある。
阿弥陀如来の本願力によって信心をめぐまれ、念仏を申す人生を歩み、この世の縁がつきるとき、浄土に生まれて仏となり、迷いの世に還って人々を教化する。
親鸞聖人の教えにみちびかれて、阿弥陀如来のみ心を聞き、念仏を称えつつ、つねにわが身をふりかえり、慚愧と歓喜のうちに、現世祈祷などにたよることなく、ご恩報謝の生活を送る。
この宗門は親鸞聖人の教えを仰ぎ、念仏を申す人々の集う同朋教団であり、人々に阿弥陀如来の智慧と慈悲を伝える教団である。それによって自他ともに心豊かに生きることのできる社会の実現に貢献する。
上記の教義・生活・宗門の文言は、浄土真宗の教章(浄土真宗本願寺派)の言葉です。
蓮の花は正直です。境内で小さな鉢に植えられていたときは、元気がなかったけれど、田んぼに植えてやると、一気に元気を取り戻しました。蓮の気持ちが分かりました。これからは何事も自然の道理を重んじていこうと思います。
1.阿弥陀如来の本願は必ず救うまかせよと南無阿弥陀仏のみ名となり、たえず私によびかけます。
2.このよび声を聞きひらき如来の救いにまかすとき、永遠に消えない灯火が私の心にともります。
3.如来の大悲に生かされてご恩報謝の喜びに、南無阿弥陀仏をとなえつつ真実の道を歩みます。
4.この世の縁の尽きるとき如来の浄土に生まれては、覚りの智慧をいただいてあらゆるいのちを救います。
5.宗祖親鸞聖人が如来の真実を示された浄土真宗のみ教えを共に喜び広めます。