声なき声に導かれ
私が30年勤めた会社を早期退職し、僧侶になったのは父の声なき声に導かれたからです。
父は農家の次男で、隣がお寺だったのが縁で、中央仏教学院を卒業すると、そのまま僧侶として大阪で暮らすようになります。しかし昭和20年3月、空襲に遭って事態が激変、僧侶を続けられなくなったのです。空襲の後、故郷信楽に戻った父は生活するために還俗し、信楽焼の会社に職を得て、サラリーマンとして一家を養う決断をしたのです。
9人兄弟の5人目として昭和24年に生まれた私は、中学卒業後は高専に進学し、寮生活のため親兄弟と離れて暮らし始めます。高専を卒業して石油会社に就職するとますます実家と疎遠になっていきました。
私が45歳のとき兄が急死、その一年後に母が病死、さらに50日後に父もこの世を去りました。私に転機がおとずれたのは両親の一周忌に故郷に帰ったときでした。父の遺品を片付けているとき真新しい仏教書を見つけたのです。納品書で父が80歳を過ぎて取寄せたものと判りました。空襲に遭い還俗した父が、晩年まで仏教を喜んでいたことに驚くとともに「仏法は最高。お前も仏道を歩みなさい」と声なき声を聞いたのです。
ナンマンダブの救い
『大経』によれば、国王を退位し修行者になった法蔵菩薩は、苦悩の人々を見て一人残らず救いたいと思い、五劫の思惟を経て48の誓願を立てます。人々を救うため救われる側に一切の条件を付けず、自らに課した条件が48あったのです。そして兆載永劫の修行の末に48の誓願をすべて成就させ、阿弥陀仏と成られたのです。
阿弥陀仏は光明と名号になって人々を救いにかかっています。阿弥陀仏の智慧の光明は普く十方世界を照らし、名号は「ナンマンダブ」の声となって今ここに届いています。私を救う阿弥陀仏がここにいるのを知らせる声が「ナンマンダブ」の喚び声なのです。「ナンマンダブ」と耳に聞こえるのは私の往生成仏が間違いない証拠です。
ある門徒の自宅で年回法要を勤めたときのことです。普段老人ホームに入所中のお婆さんが法要に合わせて帰宅していました。認知症が進んでいるようでほとんど会話がありません。お勤めが終わって法話をしていると、突然その方が大きな声で「ナンマンダブ」と発せられたのです。その場にいた人は驚きました。
今思うと、それは阿弥陀さまがお婆さんの口を通して、「お前たちを救う仏はここにいるぞ」と名乗り出てくださった姿だったと思っています。
声のまんまが仏なり
広島の真宗学寮の高松悟峰和上の歌です。
声に姿はなけれども 声のまんまが仏なり 仏は声のお六字と
姿を変えてわれに来る
浄土真宗の本尊は「ナンマンダブ」です。声の仏さまですから目に見えません。それでは拝むのに都合が悪いので名号や絵像・木像などにして姿を顕したのが、今私たちが拝んでいる仏さまのお姿です。お寺の本堂やお仏壇に安置された仏さまのお姿は、ご本尊の「ナンマンダブ」を目に見える形にした方便法身の尊形といわれる所以です。
私をお浄土に連れてゆくのは「ナンマンダブ」です。耳に聞こえるままが私を救う仏さまです。 往生成仏の証拠が届いているのですから、いまさらお願いは必要ありません。「ありがとうございます」とおまかせする私の返事が「ナンマンダブ」のお念仏です。