京都駅にある京都劇場で前進座の特別公演「花こぶし 親鸞聖人と恵信尼さま」を観劇した。公演は親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年を記念して作られた特別なものだった。11時からの公演だったが客席は3割程度の入りのように感じられた。残念ながら、750回大遠忌のときの南座公演「法然聖人と親鸞聖人」のような熱気は感じられなかった。
滋賀教区布教団「報恩の集い」が八幡別院であり出席した。5名の物故者追悼と新たに2名の布教使が入団された。記念法話は淺田恵真和上で、講題は『往生要集』の続きで、昨年までの「厭離穢土」が一段落し、今回から「欣求浄土」に入った。一回目の今日は「浄土十楽」について阿弥陀経曼荼羅とリンクされながら解説された。阿弥陀経曼荼羅については以前にも聞いたことがあり、解説本も所有しているので理解できた。
曇り空の下、ウォーキングしていると川の中でカワウと白鷺が食事中だった。烏鷺の争いというのは囲碁の別名だが、こちらは争わず仲良く食事しているように見えた。
坊守の舞踊会の会場が京都市の先斗町歌舞練場に内定したようだ。手続きはこれからだがほっとしている。地元の人には少し遠くなるが、遠来の友人には近くて好都合だ。何より設備などが充実していると思うから。先ずはよかったよかった。
今年9月の最後の日曜日に予定している坊守の舞踊会は当初地元甲賀市のホールを予定していたが、市政20周年行事が急遽入ってきて使えないことが判明した。代わりの会場探しの一環で、大津市の和邇文化センターに行った。合併前の志賀町時代、昭和63年に建てられた施設でやや古い感じがしたが、客席や舞台などは立派だった。それに音響設備を更新中とかで使える感じだったので仮押さえしてもらった。
分子生物学者の福岡伸一さんの『行く川の流れは、動的平衡』を読んだ。生物のいのちのあり方は、川の流れのように一瞬たりとも同じ状態で止まっているのではなく、連続的に変化しているのに、見かけ上は固定の物質のように見えているだけだという。仏教の「空」や「無我」「諸行無常」にも通じる考えで共感を覚える。
方丈記の「ゆく川の流れはたえずして、しかももとの水にあらず・・・」を連想した。
中陰参りをした家で紅梅が咲いていた。もしかしたえらほかの梅も咲いているかも知れないと歩いてみたら、やはり白梅も咲いていた。春の訪れを知った思いである。一方で花粉症の人にはありがたくないが、スギの花が今にも花粉をまき散らすような状況にあった。季節は確実に春になりつつある。
昨晩は関東で大雪警報が出ていた。この辺は雪はないが寒いのは変わらない。杣川堤を歩いても春はなかな感じられない。