龍谷大学瀬田学舎での公開授業RECの受講を今年も申し込んだ。可能な限り続けていきたいものだ。写真は授業が行われるRECホール正面玄関。
昨年まで『尊号真像銘文』を講義されていた大阪大谷大学の貫名譲先生が、今年から『教行信証』の講義を始めた。初回は欠席したので、今日が最初の受講だった。難解な『教行信証』をどこまで平易に講義してくださるか、楽しみである。
三重県亀山市楠平尾町の「ササユリの里」を訪ねる。新聞にササユリの開花情報が出ていたので訪ねてみた。保存会が2002年より雑木林を整備し、ササユリの保存に取り組んでいる。今年は約700株がつぼみを付け、白やピンクの花を咲かせている。
ササユリは甲賀市の花なのだが、これほど多くのササユリが見られる場所はない。甲賀市にも広大なササユリの群生地を整備してもらいたいものだ。
ササユリは、花が終わると種をつけ、それが大地に落ちて、2年目の春に発芽するという。6年目で茎が立ち、さらに3年後にやっと花を咲かせるという。種から花が咲くまで実に9年もかかるのだから、大切にしたいものだ。
彦根市平田町の得法寺で開催された江州番方講小泉講中の巡回法座に出講。
江州番方講の小泉講中巡回法座。昨年に続いて2度目のご縁をいただく。南無阿弥陀仏はリンゴの果実と同じように結果だから、心配ない。救われる証拠が届いているのだから、「助けてくれ」は必要ない、と話す。
盆栽のサツキを地植えにしたもの。白色がやや優勢だが、紅い花も負けてはいない。多くは白い花の一部だけが紅いのだが、花全体が紅い花もある。一本の木に紅白乱れ咲くサツキである。
ブラックベリーが今年も開花。果実はいちごに似た形で、熟すと黒くなり、食べると甘酸っぱい味がする。熟すのを見計らって、小鳥と人間が争って食べるようになる。これも楽しみの一つだ。
とんち話でおなじみの一休さん、一休禅師のお墓がある京田辺市の酬恩庵一休寺を訪ねた。法話で蓮如上人と親交のあった一休禅師なので、一度訪ねてみたいと思っていたが、ようやく実現できた。
一休禅師は後小松天皇の子どものため、墓所は宮内庁が管理しており、中に入ることはできない。塀の外からのぞきながら撮影した1枚である。
国の重要文化財に指定されている方丈の正面奥には一休禅師のお木像が本尊としてまつられている。
本堂は意外に小さな建物であった。ご本尊は阿弥陀如来坐像だった。
本堂の境内には、掃除をする小僧時代の一休さんの像が建てられていた。
今年も専宗寺様の宗祖降誕会で布教のご縁をいただいた。3年続けてのご縁なので、法話内容が前年と同じ内容はならないようにすべきだが、法話内容を記録していないので、それは難しい。宗祖のみ教えを正しく、分かり易く伝えることになってさえいれば、同じような内容であっても差し支えないと思っている。
専宗寺は聖徳太子の創建とされ、真宗寺院には珍しい太子堂がある。
午前中に中陰法要を1件済ませた後、草津市草津の浄教寺(小野田昭英住職)の永代経法要に出講した。前住職とは布教団の旅行などでお会いしたことはあったが、布教のご縁は初めてだった。ご住職は高校の先生で、初任地は甲南高校(嚴浄寺の地元)だったそうで、信楽高校(私の出身中学の近く)にも一時勤務されたことがあると話しておられた。
初めてご縁をいただいたお寺なのに、ご住職や坊守様と話していると、何度もお会いしたことがあるような心安い、気楽な気分にさせてくれるお寺だった。また、地域の中でお寺の存在価値を高めようと、意欲的に活動している頼もしいお寺だった。
逮夜の法座を終えて近くを散歩すると、国道1号線の上を横切るように以前あった天井川は、美しい公園に変わっていた。美しい花や小川まで作られ、市民の憩いの場所になっている。車が通らないのでウォーキングにはもってこいだ。
午前中の甲南町民児協の定例会議に続いて、甲賀市民児協連の総会が、かふか生涯学習館で開催され、出席。市長や市議会議長も来賓として出席、挨拶された。
250人近い委員の集合写真を撮影するのは、さすがに時間がかかったが、うまくいった。
総会後の研修会では、地元甲賀町の民生児童委員が「甲賀のお宝」について講演された。まだまだ地元についても知らないことが多いことに気づかされる。
本願寺の聞法会館で全国布教同志会の本部役員会議があり、出席した。今年の広島・全国大会での役割や今後の会運営のあり方などについて協議した。
大阪・泉南市の安楽寺(佐々木徹生住職)の永代経法要に出講。佐々木住職が行信教校の出身のためか、講師の先生はほとんど行信教校の講師ばかりだった。また梯實圓和上の書がいくつも講師部屋に飾られていた。
明清寺で甲賀組定期組会があり、総代代表と二人で出席。
岩尾池に立つ自然記念物の一本杉。この辺りは自然を満喫できる穴場といえる。
立てば芍薬、座れば牡丹・・・。清楚な色だ。
境内の陽当たりのよい場所の紫蘭だけ開花。日陰の紫蘭はまだ知らんぷりしている。
午前中、天台宗の息障寺がある岩尾山を歩こうと思ってでかけたが、山頂まで行かず、途中でリタイヤする情けない結果に終わった。体力の低下が思ったより進んでいることを痛感した。
午後は長浜市高月町の東アジア交流ハウス雨森芳洲庵(あめのもりほうしゅうあん)を訪ねた。江戸時代の儒学者である雨森芳洲は、釜山に3年間留学して朝鮮語を習得し、朝鮮通信使の外交文書を解読・起草する真文役(しんぶんやく)として江戸往復の旅に随行し大活躍した。また、晩年になっても向学の精神は衰えることなく、80歳を過ぎてから和歌を学び、88歳の生涯を終えるまでに2万首の和歌を残した。
5月のGWは決まって陶芸の森の作家市を回ることにしている。今年は過去最多の出品者だという発表だった。ただ芸術性の高い作品が多く、価格の安い実用品は少なく感じた。
岐阜県土岐市の土岐美濃焼まつりは、日本三大陶器市の一つに数えられている大規模なもの。さすがに店舗の数も人の数も、売られている陶器の種類や価格の安さもすごい。探していた食器なども格安で手に入れることができ、足を延した甲斐があった。会場周辺では、道路のテントだけでなく、工場の敷地内でも陶器を並べて売っていた。
頼まれた法衣カバンを買うために、久しぶりに本願寺の近くの井筒法衣店に行く。建物の壁にはユニークな立体的な看板がかかっていた。
京都府でもかなり北の外れになる美山町。ここにはかやぶきの家が多く残っていて、それが観光の目玉になっている。
南丹市美山町北のかやぶきの里。一度訪ねてみたいと思っていたところだった。タイムスリップしたような長閑な風景。昔はどこにでもあった風景だと思うが、今はこの辺りにしか残っていないようだ。