長男一家は東京から車で帰ってきた。思いのほか道路は空いていたようだ。昼過ぎに全員で三重県の島ヶ原温泉「やぶっちゃの湯」に行く。夜、11時から除夜会を勤める。
昨夜、遅くまでかかって本堂・内陣のお荘厳を正月バージョンに改めた。正月の準備もほぼ先が見えてきたので、骨休めに「さるびの温泉」に行った。時間が早かったこともあり、空いていて快適に過ごすことができた。
この近くには10軒以上の日帰り温泉施設があるが、個人的には「さるびの温泉」が一番のお気に入りである。
今年も残り一週間となり、布教など大きな仕事はすべて終了し、滞っている事務整理など年内にやっておくべき仕事を片付けることにした。
境内でタヌキの傍で万両が人目をひいている。
今回の坊守の演目は常磐津「山姥」。東京に住んでいる長男は、プレミアムフライデーということで午後3時に仕事を切り上げ、坊守の舞台に間に合った。そんなことができるサラリーマンはあまり多くないと思うが。
踊り終えた直後に、楽屋の入り口で長男や友人たちと坊守を囲んで記念撮影。
高松市内の法然寺を訪ねる。「承元の法難」により流罪になられた聖人が、讃岐の国に上陸したとき住まわれた小松庄生福寺を高松藩祖松平頼重公がこの地に移転し、代々の菩提寺とした。
讃岐と言えば、香川県は別名「うどん県」として売り出し中。中でも最大手の石丸製麺の工場を見学。社長自らマイクを持って案内する姿に、リーダーの気構えを感じた。
妙好人として有名な「庄松同行」の勝覚寺を訪ねる。説明をしてくれたのは住職の弟さんで本願寺布教使になったばかりの赤澤英海師。
境内にある「庄松同行」の像。このあと、墓所にも案内してくださった。
本願寺塩谷別院は四州教区教務所のある別院。江戸時代に播州赤穂の教法寺と門徒30戸が塩田開墾のため、集団移住したのが始まりだった。
毎朝電話をくれる叔母だが、満90歳を超したので、やはり直接顔を見ないと心配な面もあり、お米などを持って訪ねた。一人住まいが気楽なようで、精神面では心配なさそうだった。
写真は帰りに立ち寄った道の駅「阿山」。年末を迎え、正月用品が多く売られていた。
年末恒例の一泊研修は例年通り雄琴温泉・湯元館で開催。甲賀組内の住職および住職代務が全員出席だった。
評議員を務めている特別養護老人ホーム「甲賀荘」で法話。仏教徒が守るべき「五戒」について話す。いずれも守るのは簡単ではないが、努力目標にはしたいものだ。
生まれ故郷の方で、私は勿論、両親はじめ兄弟全員が大変お世話になった方の葬儀が信楽であり、坊守と一緒に参勤させていただいた。
身近な人がまた一人ご往生され、この世は寂しくなるが、逆に自分が往生するとき、お浄土で再会する楽しみは増えていく。
本部から本部長ら3名と滋賀支部の実行委員9名、合計12名による実行委員会の会合が滋賀教区教務所とホテルニューオウミであり、出席。
境内にはもらってきた実生の千両が実をつけている。切り花として利用できそうな大きさになってきた。
玄関先には、鳥がどこかで啄み、ここでフンをしたからで芽を出したと思われる万両も、可愛い実をつけている。
12月の編集会議は忘年会を兼ねて、今年は南郷温泉の二葉屋で開催した。ほぼ全員参加だったが、編集長の私がお通夜と重なり、会議だけで忘年会は欠席した。
編集会議の前に琵琶湖の水が大阪湾へ流れ出す唯一の河川・瀬田川を探索。南郷の洗堰で水量を調節しながら琵琶湖から大阪湾に向けて流れている。この場所は洗堰から少し下った地点で鹿跳橋の上流で、川上から川下への眺め。
圓勝寺様(中慈勝住職)の報恩講に出講。昨年に続いての出講だった。体調が思わしくない状況だったが、何とか役目を果たすことができた。有り難いことに来年の報恩講にも出講依頼があり、お世話になることにした。