忍者の里、甲賀(こうか)市甲南町には37ヶ寺の仏教寺院があります。嚴浄寺はその中で唯一の浄土真宗寺院です。宗派は浄土真宗本願寺派(西本願寺)に所属しています。
嚴浄寺の本堂
境内の親鸞聖人像。その後ろが鐘楼。
嚴浄寺の始まりは、本願寺が第8世蓮如上人のとき、1458(長禄2)年にこの地に建てられた惣道場が起源とされています。その後1570(元亀元)年には京都の常楽寺(開基は存覚上人)の末寺と定められ、その年に本願寺第11世顕如上人の花押が記された親鸞聖人の絵伝四幅を下付されました。嚴浄寺の寺号を許されたのは1741(寛保元)年のことです。1763(宝暦13)年には蓮如上人、七高僧、聖徳太子の絵像が下付されています。
嚴浄寺はこれまで何度も水害や突風の被害により損壊を受けた歴史があります。現在の本堂は1875(明治8)年に旧水口城売り払いの際、櫓一棟、長屋一棟を買い取り、その材料を使ってようやく1877(明治10)年に完成したものです。水口城に使われていた材料だけに太くて立派な総欅造りになっているのが自慢の一つです。屋根瓦も当初は三つ葉葵の徳川の紋が入った古いものでしたが、1994(平成6)年に新しい瓦に葺き替えられました。
平成6年に大改修をされた内陣。古いけれどもこじんまりとまとまった内陣は歴史を感じさせてくれます。
嚴浄寺の内陣には真向きの親鸞聖人の御影が掲げられています。これは裏書によると1796(寛政8)年に常楽寺より下付されたものです。本願寺史料研究所所長をされていた千葉乗隆師に確認したところ、京都の常楽寺(開基は存覚上人)に伝わる「華の御影」の模写であることが分かりました。確かにこの絵像を見ていると、ご開山が今も私たちを教化し続けておられるように感じられます。
住職と坊守(嚴浄寺の庫裏で撮影)