介護がテーマの映画「八重子のハミング」の上映会に出席。主催者として上映の1時間以上前から駐車場の整理係を務めた。会場はほぼ満員の盛況だった。映画も現在の社会問題である介護問題を考える上で、効果的な内容でとても良かった。
会場のプララ駐車場の入り口には大きなモチノキが植えられている。似ているので万両かと思っていたが間違いで、万両はこれほど大きくはならないようだ。お寺の万両は、野鳥が種を運んできたものと思われる。
今年のご講師は大阪教区中島組萬福寺住職の寺本正尚師。『御堂さん』の編集委員をされており、住職と同じ全国布教同志会の会員。昨年、門徒総代の神田泰男氏を取材に来られたご縁で、出講いただいた。常に笑顔で笑いを誘いながら、仏教の教えを説いてくださった。
大津市坂本の西教寺が運営する特別養護老人ホーム「真盛園」を訪問し法話した。
民生委員の研修会で訪れた満蒙開拓平和記念館の記憶が新しいうちに、図書館で『満州開拓団の真実』を借りて読んだ。国策で移住した日本人27万人余りのうち、8万人以上の死者を出した悲しい出来事を、後世に伝えていく必要がある。疑問点の一つに、なぜ長野県から3万2千人以上の人が満州に渡ったのに、滋賀県からはたった93人(47都道府県で最少)だったのか。調べてみたいものだ。
住職は、20日の午後と21日の午前に光圓寺の報恩講で法話。正覚寺の報恩講には20日の初夜勤行に住職が参勤、21日の晨朝、満日中の勤行には坊守が参勤した。21日の午後は年回法要もあり、住職・坊守とも多忙な週末だった。
20日の午前中に展示を観て回る。20日の午後、坊守は着付教室。21日午後の発表会に坊守は日本舞踊を披露。
17日は、阿智村の満蒙開拓平和記念館を訪ねる。国策で27万人もの日本人が満州に移住したが、戦争で悲惨な目に遭った負の歴史を学ぶ。
宿泊は、昼神温泉の湯元ホテル阿智川。懇親会の余興で、「大喜利」の司会と、小噺などを披露。
早朝にウォーキングを兼ねて周辺を散策し、朝市などを見物。
18日は長野県宮田村の聴導犬・介助犬の訓練センターを訪問。訓練や普及実態などを学ぶ。活動費用はすべて寄付金だけが頼りとの由。
二日目の最後は、松川IC近くのリンゴ園でリンゴ狩り。長野スイートという名柄は甘くて美味しかった。
午前中、浄参寺の報恩講に参勤した後、長浜市の須賀谷温泉であった鈴鹿高専工業化学科4期生のクラス会に出席した。毎年、場所を変えて開催しているが、初参加で48年ぶりに出会えた懐かしい顔もあり、懇親会は夜遅くまで大いに盛り上がった。
甲賀組内の報恩講シーズンは10月・11月だが、布教と重なるときは坊守にお参りしてもらっている。今日明日は布教がなかったので、浄参寺の報恩講に参勤できた。同じ組内の寺院の報恩講には可能な限り、お参りさせていただこうと思っている。
報恩講を迎えるに当たり、恒例になっている仏具磨きを、ご門徒の皆さんが手際よく作業を進めてくれた。これで気持ち良く、報恩講が迎えられる。
滋賀教区布教団がボランティアで行っている施設訪問布教で、今日は甲賀荘に行った。今年から施設が新しくなり、玄関を入ったところに仏壇があり、車いすの入所者が法話を聞きに集まってくる。今日は江戸時代の禅僧・仙厓和尚の話をさせていただいた。
体育の日で休日だった今日は、「多治見茶碗まつり」に出かけた。袋に詰め放題で千円など陶磁器の大安売りに大勢の客が詰め掛けていた。お蔭で今日の万歩計は19,240歩を記録した。二日分歩いたことになる。
来生寺様の報恩講は10月6日の逮夜法要から7日の満日中法要まで二日間で、法話は三座6席だった。
阿弥陀堂町の町名由来の阿弥陀堂は、来生寺のすぐ近くにある小さなお堂で、光照寺という名前がつけられており、地元の住民で護持しているとのこと。
知人が写真の部で初入選したとの連絡で、初めて二科展を見に行く。悲しいかな自分には美術品の善し悪しを判断する能力はない。
眞楽寺様(澗信澄住職)へは6年ぶり3回目の出講だった。お土産に地元・万古焼の急須をいただき、坊守が喜んでくれたのでよかった。
前日に代理出講を頼まれ、白寿荘に出向く。台風24号は心配したが、この辺では大きな被害はなかったようだ。
境内の金木犀がいい香りを放っている。
紫苑も紫の花をつけている。台風一過の好天が清々しい。